地縁も何もない大阪に越してきて、4年半が経ちます。最近はここが「自分の地域」だという実感を持てるようになってきました。
かつて東京に住んでいた頃、息子が小学校に上がるタイミングで自ら立候補してPTAの役員をやらせてもらった。なぜそうしようと思ったのか明確な理由はあまり定かではないけれど、なんとなく「家族の暮らす場所」に対して、少しでも貢献したいという気持ちが根底にあったのだと思います。
大阪へ引っ越してきた時、私は完全な「新参者」だった。もちろん地縁も何も無い状態。
そこから地域の人々と初めて生まれた接点は、やはり「子ども」がきっかけだった。長男の仲の良い友人の両親と一緒にご飯を食べたり、次男が通っている幼稚園の保護者たち。そういった場所で顔を合わせ、言葉を交わす相手が増えていくことで、少しずつ地域の中に馴染んでいった。
ただ、この時点ではまだ、自分は常に「お客様」のような感覚でした。誰かに受け入れてもらったり、何かをしてもらったりする役回りが多かったように思います。
得意なことで役割を作る
変化が訪れたのは、長男と次男が少年野球をはじめ、チームに深く関わるようになってから。
コミュニティ心理学において、心理学者マクミランとチャビスは「人がコミュニティに真の帰属意識を持つには、単に所属するだけでなく『自分がその場所に影響を与えている』という実感が必要だ」と論じた(コミュニティ感覚 / Sense of Community)。この相互影響と役割の獲得こそが、新参者を当事者へと変える重要なステップだという。
そんな理論などもちろん知らぬままに、私はまずは自分の得意なことを生かしてチームに貢献しようと考えました。
初めはチームの練習や試合に入って支援をする一人の「素人コーチ」でしたが、大学時代まで培ってきた陸上や瞬発系のトレーニング知識を小学生向けにアレンジし、子どもたちの身体能力を向上させるためのプログラムを実践したり、今年にはいってからは非常に煩雑だった運営業務をすべて引き受け、必要な管理システムを自分で定義・構築し、チーム運営の効率化に貢献したりしている。
(ちなみにそのシステムはSaaS「Dagout」として外部チームにも使ってもらえるようにしました)
いわば、自分の「持っているアセット(強み)」をコミュニティに提供することで、自分にしかできない役割を作りに行った形だ。
そうして「自分の得意なこと」を使って地域の活動に参加してみると、それが触媒となって周囲の人たちとの関係が急速に深まっていく実感がありました。新しいコミュニケーションが次々と生まれ、少しずつ「自分が地域に貢献できている」という確かな実感が得られるようになってきました。
コーチ陣と飲み会をしたり、チーム全員を引き連れた合宿を企画したりもした。
日々の練習の中で、暑さ対策の氷をどう手配するか、お弁当をどう扱うかといった細かな相談をお母さん方としたり、新入部員をリクルートするための体験会を企画し、学校と調整してチラシを配ってもらったりもした。

こうして書き出してみると、まるで「仕事」のようでもある。誰かに頼まれたわけでも、報酬があるわけでもない。それでも、いやだからこそ、この能動的なコミットを通じてこそ地域に本当の意味で溶け込んでいける。お客様のフェーズを抜け出し、コミュニティを内側から支える一員になれたという実感は、私にとって非常に重要な意味を持っています。
地縁と無縁
私はもともと、青森の田舎育ちだ。
非常に地縁が濃く、閉鎖的な場所で育ってきた。地元のスーパーマーケットに行けば、父や母は必ず知り合いと出くわし、どこか気まずそうに世間話をしていた。子どもの頃の自分も、そういう狭い地域特有の強制的な空気感を、どこか毛嫌いしている節がありました。
しかし、就職して東京で暮らしてみると、それとは真逆の「隣に住んでいる人とすら関係を作ろうとしない」ような、つながりの薄い世界が待っていた。いわば無縁の世界。
それはそれで、どこか寂しさを覚えるものでした。
今住んでいる大阪の北部地域は、ちょうどその「田舎の濃さ」と「都会の薄さ」の中間のような空気感があり、私にとってはとても水が合っています。
過剰な地縁に縛られるのは息苦しいけれど、無縁社会は寂しいというワガママをどうにか実現しようとしている。
「自分が暮らしている場所を、もっと良くしたい」 「自分の好きな地域が、少しでも持続してほしい」
私が地域に入り続けるのは、この2つの欲求に突き動かされているからかもしれません。自分がここに属したいという個人的な欲求と、自分が好きだと感じた場所を守りたいという、少し利他的な欲求。どちらも、人間の持つ一番原始的な動機のように思います。






