先日、社内の全社ミーティングにて同僚のKazuさんが、「炎上プロジェクト」と「エベレストのシェルパ」のアナロジーを共有してくれました。「開発プロジェクトもエベレスト登山と同じで、危険を感じたら、シェルパの判断で引き返すような権限と文化が必要かもしれない」という趣旨の話です。

私はシェルパについて知らなかったので、「ほへー」と聞いていたのですが、エベレスト登山におけるシェルパの話は有名な通説のようで、詳しく調べてみました。

結論としては、このシェルパ通説は思っていたよりずっと理想化された物語で、「シェルパに登山客の無茶を止める権限は、実際には存在していない」ということだったのですが。

シェルパの沿革を調べながら、開発プロジェクトの炎上とどこが重なるのかを考えてみます。

炎上プロジェクトの記憶

Kazuさんの話の出発点は、マネージャーとしてあるサービスのローンチに携わった経験でした。リリース後、最悪級のインシデントが同時多発し、ひとつひとつが致命傷になりうる不具合が噴出。

「大きいブロッカーをクリアすれば幸せになれるように見えるが、実際にはその陰に次のブロッカーが隠れているだけのことが多い」

と、目の前の火を消しても、その裏にもう一つ火種が隠れている。それを繰り返しているうちに、いつの間にか後戻りできない場所まで来てしまうことで炎上していく経験だったそうで、身に覚えのある人も多いのではないかと思います。

止めて仕切り直すべきだった、とKazuさんは振り返っていました。ただ当時は、リリースカレンダーをすでにステークホルダーにコミットしており、中断は簡単に選べる選択肢ではなかった。加えて、マネージャーとしての責務やスタンスを、まだ言語化できていなかった。止めるべきタイミングで、止める理由と権限を、自分の中で明文化できていなかったと反省されていました。

この「止めるべきだったのに、止められなかった」という構造が、エベレストのシェルパの話と重なった、というのがKazuさんの比喩の出どころでした。

シェルパという専門家

エベレスト・ベースキャンプへ向かうルートを、荷を背負って進む隊列

そもそもシェルパとは何者なのか。

シェルパは12〜15世紀頃、チベット東部からネパールのソル・クンブ地方へ移住してきた民族集団。「シェルパ」という名前自体、チベット語で「東方の人」を意味するとされています。

現在の人口は25万人超とのこと(EBSCO)。

エベレスト登山史における最も有名なシェルパは、1953年にエドモンド・ヒラリーとともに人類初のエベレスト登頂を果たしたテンジン・ノルゲイです(Follow Alice)。以来、シェルパは単なる荷物運びではなく、登頂を支える専門技能集団として知られるようになっていきます。

面白いのは、シェルパの高所での強さが、単なる慣れや経験だけでは説明できない部分を持っている点です。

シェルパにはEPAS1やEGLN1といった遺伝子の変異が見られ、低地民族とは異なる代謝の仕組みを持っているとのこと。

標高が上がるとヘモグロビン濃度が過剰に上昇して血液が粘り気を増す、という高地順応の副作用が、シェルパでは起きにくいという研究もあります(PLOS OnePNAS)。

文化的な蓄積だけでなく、身体そのものが高所仕様になっている。 ただ、その適応が雪崩や落氷から身を守ってくれるわけではありません。身体が強いことと、安全であることは、まったく別の話なのだと思います。

あまり知られていない専門職として「アイスフォール・ドクター」がいます。エベレストのベースキャンプ直上には、クンブ氷瀑という氷河の崩落地帯がある。水平距離にして約1.5km、標高差600m。氷は1日に1m前後動き続けるので、安全なルートというものが固定的には存在しません(Wikipedia: Khumbu Icefall)。

ベースキャンプ直上に横たわるクンブ氷瀑。この氷の迷路にルートを切り開く

毎年春のシーズン開幕前、この不安定な氷の迷路にはしごと固定ロープを設置し、ルートを切り開くのがアイスフォール・ドクターの仕事です (命がけやん)。

2003年からはSPCC(サガルマータ汚染管理委員会)という現地の組織がこの活動を引き継いで運営しており(Outside)、危険地帯をどう通すかの判断が、個人ではなく組織の単位で担われています。

ルートの構造も押さえておきたいところです。ネパール側の南東稜は、クンブ氷瀑を抜ければローツェ・フェイス、その先にサウスコル、そしてヒラリー・ステップと、危険地帯が数珠つなぎに続いている。ひとつ越えれば楽になる、という構造をしていません。

しかもHimalayan Databaseをもとにした分析(1922年から2023年)では、山中での死者の56%が下山中に発生しているそうです(Journal of Physiology)。頂上に立った瞬間ではなく、酸素も体力も使い果たした帰り道のほうが危ない。ひとつ越えた安堵が、次の一手への警戒を鈍らせる構造が、ここにもあるように見えます。

こうして見ると、シェルパという存在は単なる補助要員ではなく、

  1. 遺伝的な適応
  2. 蓄積された技術
  3. 専門組織による運営

という、複数層で支えられた専門家集団なのだと思います。

だからこそ「安全判断はシェルパに委ねるべきだ」という理屈も、一見すると筋が通っているように聞こえます。

商業化と1996年の遭難

その専門性が、90年代に入って商業化の波にさらされます。

1990年代、エベレストでは商業ガイド遠征が本格化しました。

代表的な存在が、ロブ・ホール率いるAdventure Consultantsと、スコット・フィッシャー率いるMountain Madnessです。両社とも、経験の浅い富裕層のクライアントを、専門ガイドとシェルパのチームで頂上まで導く、というビジネスモデルを確立しつつありました。

価格帯は当時から一貫して高額です。1996年、ロブ・ホールは1人あたり6万5000ドルを課しています(Wikipedia: Rob Hall)。現在も、国際的な業者にシェルパガイドを付けて5万4000ドル前後というのが中央値の水準で、入山許可料だけでも1万5000ドルかかります(Climbing.com)。

それだけの対価を払ってまで、ベースキャンプへ来たいクライアントがいるということです。

トゥクラ峠付近。エベレストへ向かう谷筋には、亡くなった登山者たちを悼むタルチョと石積みが並ぶ

1996年5月10日から11日にかけて、エベレストは悪天候に見舞われ、8人が命を落としました。 そこにはロブ・ホール本人、ガイドのアンディ・ハリス、クライアントのダグ・ハンセン、そして日本人登山家の難波康子さんも含まれています(Wikipedia)。

このとき、ロブ・ホールは事前に「折り返し時刻(turnaround time)」を定めていました。頂上に着いていなくても、決めた時刻を過ぎたら引き返す、という安全のためのルールです。ホール自身、これを「絶対の掟であり、異議は認めない」と表現していたと伝えられています。

ところが当日、この折り返し時刻は強制されませんでした。

スコット・フィッシャーの登頂は午後3時45分、ホールとハンセンにいたってはさらに遅い時刻でした(折り返し時刻そのものについては、資料によって午後1時とも午後2時とも記されており、揺れがある。Advnture)。

この遭難については、内容が対立する2つの一次資料が残されています。

  • 生還した記者ジョン・クラカワーが書いた『空へ(Into Thin Air)』
  • 同じ隊のガイドだったアナトリ・ブクレーエフが書いた『The Climb』

どちらの本にも共通して登場するのが「サミット・フィーバー」という言葉です。頂上への執着が強まるあまり、危険を示す信号を無視してしまう心理状態を指します。

決めていたルールを、決めた本人が現場で行使できなかった。1996年の遭難は、その典型例として今も語られ続けています。

では、このときシェルパたちは何をしていたのか。

ホール隊のシェルパ長だったアン・ドルジェは、山頂までの固定ロープを設置する役目を負っていました。

ところが当日、一緒に張るはずだったフィッシャー隊のロプサン・ジャンブが、客をショートロープで引き上げる作業に回ってしまいます。

アン・ドルジェは一人での作業を拒み、その結果、隊は1時間ほどの遅延を強いられたとされています(Ang Dorje SherpaBritannica)。

そのロプサンは、動けなくなったフィッシャーを一人で下ろそうと、5時間以上粘ります。フィッシャー本人が「お前は下りろ」と繰り返し命じるまで、その場を離れなかったといいます(Lopsang Jangbu Sherpa)。

つまりシェルパたちは、登るか止まるかを決める側ではなく、決まったことの帳尻を身体で合わせる側にいた。「止める絶対の規範」ではなく、「事態が壊れたあとの最後の帳尻合わせ」という側面のほうが強かったようです。

シェルパの報酬構造もこの流れを加速させたのではないかと思います。

シェルパの報酬は役割によって幅がありますが、業界メディアの推計では1シーズンでおおむね2000ドルから1万ドル程度とされています(IERE)。

ネパールの1人あたりGDPが1300ドル台であることを考えると(Macrotrends)、悪くない収入ではあるものの、1シーズンを棒に振ることが生計に直撃するということでもあり、なんとか帳尻を合わせて報酬を得ることへの強いインセンティブが働いていたのではないかと考えられます。

危険を最もよく知っている人間が、登山を止めにくい報酬構造にあったということです。

「止める権限」は本当にシェルパにあるのか

結論から書くと、「権限自体は実際にワークしない状態に陥っているのではないか」と考えられます。この問いに対して、大きく以下2つの要素があります。

  1. ひとつは、そもそもシェルパに決定権が渡されていない
  2. もうひとつは、決定権を持っている側ですら、それを行使できない

特に厄介なのは、後者のほうです。

よく語られる通説はこうです。1996年をはじめとする度重なる事故を経て、エベレスト登山は「登頂させること」より「生きて帰ること」を第一に置くようになり、危険だと判断すればシェルパがプロとして引き返しを提案できる文化が育った、というものです。Kazuさんの比喩も、おそらくこの通説をベースにしていたのだと思います。

しかし調べていくと、この通説はかなり理想化されており、実態と乖離しているようです。

登山専門メディアのExplorerswebによる分析では、「シェルパガイドは進退について助言はするが、権限は持たない(hold no authority)」とされています(Explorersweb)。最終的な決定権は、多くの場合クライアント側に委ねられがちだというのです。

この分析が扱っているのは、2024年5月の事故です。無酸素での登頂を目指すケニア人登山家に同行したナワン・シェルパは、ベースキャンプへの無線で「客が2〜3時間にわたって不合理な行動を取り、助言を拒み、押しのけてくる」「緊急用の酸素を吸わせようとしたが失敗した」と報告し続けました。そして両名とも帰らぬ人となりました(CNN)。

助言する能力はあり、危険も見えている。それを伝えてもいる。それでもクライアントは止まらない、というのが現実です。

そもそも、両者の関係が常に穏やかな信頼で成立していたわけでもありません。2013年には、欧米人クライマー3人と約100人のシェルパが衝突する事件も起きています(NPR)。

背景には、登山者の増加もあります。1950年代、エベレストの登頂者は累計で20人に満たなかったものの、2019年には年間877人が登頂するに至っています(Alan Arnette: Everest by the Numbers)。

それだけ増えた需要に対して、経験を積んだ熟練シェルパの供給が同じペースで増えるはずもありません。大手の遠征会社にとっては、クライアントの安全を最優先することよりも、「頂上に連れて行くこと」自体が営業上の優先事項になりやすいのではないかと考えられます。

「折り返し時刻」という制度があっても無力化されたのは、権限を持つ側の意志が弱かったからというより、この構造の側に理由があるように見えます。

制度面の対応も、動いてはいます。ネパール政府は2025年2月に登山規則を改正し、8000m峰での単独登山を禁止して、クライアント2人につきガイド1人を同行させることを義務づけました(同年9月施行)。

ただしこれも、順守を監視する資源が乏しく、ベースキャンプから動かないガイドを名義上だけ登録するといった抜け穴が指摘されています。実効性の乏しい「規制の演技(regulation theater)」だという批判もあるようです。

また、ベースキャンプより上で働くシェルパの死亡率は、米国で最も危険な非軍事職業とされる商業漁師のおよそ10倍にあたるそうです(NPR)。クライアントが一生に一度の登頂であるのに対し、シェルパは同じ危険地帯を毎シーズン何往復もするため、リスクの総量がそもそも違います。

その構造が最もはっきり表に出たのが、2014年4月18日に起きたクンブ氷瀑での雪崩です。この事故でシェルパ16人が亡くなりました(National Geographic)。このときネパール政府が遺族に当初提示した補償額は、4万ルピー。当時のレートで400ドルあまりです(Vice)。

シェルパたちはそのシーズンの活動をボイコットし、多くの遠征隊が中止に追い込まれました。政府は追加補償に応じ、生命保険の補償額も100万ルピーから150万ルピーへと引き上げられています(WikipediaOutdoor Journal)。

個々のガイドが現場で「止める」のではなく、集団としての行動によって初めて登山そのものが止まった。この順番が興味深いところです。

アイスフォール・ドクターも同じ構造をしています。2026年のシーズンには、クンブ氷瀑で不安定な巨大セラック(氷の塔)が見つかりました。このときルートをどう通すかは、SPCCと政府観光局、ネパール登山会社協会が合同で空撮と現地調査を行って判断し、開通までに19日を要しています(Kathmandu Post)。

エベレストで実際に機能している安全判断は、勇気ある個人ではなく、組織の単位で下されているようになっています。

ここまでを踏まえると、「止める権限はシェルパにある」という通説は、実態というより願望に近いものに見えてきます。止める権限は、制度として宣言すれば自動的に生まれるものではありません。

数千万円を払ったクライアントの「登りたい」に対抗するには、専門家としてのリスペクトが浸透していることと、断っても目の前の生計が壊れない経済的な基盤が要る。そしておそらく、個人が一人で背負わなくて済む単位で判断できることが要るのだろうと思います。

開発プロジェクトに引き戻す

ここまでの話は、開発プロジェクトの炎上と重ねて考えると、示唆が多い気がしています。

リスクが見えている開発の現場がシェルパ。リリース日を待っている経営や市場がクライアント。事前に決めたリリース判定基準が折り返し時刻。そしてローンチ直前の高揚がサミット・フィーバーにあたります。

エベレストと開発プロジェクトの対応関係

プロジェクトの死は、多くの場合、一瞬の出来事としては現れません。度重なる延期、なかなか収束しない品質、次から次へと見つかり続けるブロッカー。Kazuさんの体験でも、ひとつのインシデントの裏にもうひとつが隠れていた、という話がありました。少しずつ手遅れに近づいていくプロセスであることが多いのだと思います。

ビジネス側から見ると、「このまま登ったら死ぬかもしれない」という危険信号は、現場と同じ解像度では見えづらいものです。リリース日を約束した株主や取引先がいて、市場機会があって、「早く登頂したい」という気持ちは、誰が悪いわけでもなく自然なものです。

開発側には、技術的なリスクを評価して止める権限がある、とも言えるし、止める責任がある、とも言えます。ただエベレストの事例が教えてくれるのは、その権限は宣言しただけでは機能しないし、個人のシェルパが機能させられるものでもない、ということです。

折り返し時刻というルールが、決めた本人によって現場で骨抜きにされたように、「エンジニアやAAには止める権限がある」と社内規定に書いても、それだけでは何も変わらないのだろうと思います。

対比として印象的なのが、トヨタのアンドンです。生産ラインの作業者は誰でも、異常を発見したときにひもを引くかボタンを押して、異常を知らせることができる。この仕組みは、現場で実際に運用可能な形で権限を渡した好例としてよく語られます(Toyota UK)。

面白いのは、アンドンを引いても即座にラインが止まるわけではない、という点です。まずチームリーダーに通知が飛び、リーダーが駆けつける。決められた時間内に解決できなければ、そこで初めてラインが止まる。つまりアンドンは「止めるボタン」ではなく、「異常を知らせて人を呼ぶ仕組み」なのです。

なぜこれが機能するのか。権限を与えているからというより、それを支える運用がセットになっているからだと思います。引いた人が責められるのではなく、引いたら組織の課題にエスカレーションされるという仕組み。そして、ラインを止めた作業者は責められないという安全性。

シェルパが引き返しを進言しづらいのは、勇気が足りないからではなく、そのシーズンの収入が消えるからです。止める権限を機能させるには、そのための構造が必要です。

学び

  1. プロジェクトが止まらないのは、誰かが臆病だからではない。1996年、折り返し時刻を「絶対の掟」と呼んでいたロブ・ホール本人すら、それを行使できなかった。シェルパが進言しきれないのも、勇気の問題ではなく、そのシーズンの収入が消えるからだった。
  2. 中断権限は、制度として宣言するだけでは生まれない。折り返し時刻というルールがあっても、それを行使できるだけの信頼関係と経済的な安全網がなければ、現場では簡単に無力化されてしまう。
  3. 「現場の個人に止める権限を渡す」という設計そのものが、筋が悪い。エベレストで実際に登山が止まったのは、勇気ある一人が声を上げたときではなく、シェルパたちが集団でボイコットしたとき。クンブ氷瀑のルート判断も、個人ではなくSPCCという組織が担っている。アンドンにしても、引いた個人が止めるのではなく、リーダーが駆けつけて解決できなければ仕組みが止める。

設計すべきは、勇気を持てる個人ではなく、個人が勇気を出さなくても止まる仕組みのほうなのだと思います。 「止める役割や権限は誰が担っているのか」という問い自体が誤りであり、「止める仕組みをどのように設計しているか」がより良い問いに思います。

改めて、面白い視点を共有してくれたKazuさんに感謝します。

参考

写真

記事内の写真はいずれもUnsplashより。